採用担当者も苦悩する

ブランクがあっても働く

前職では北欧企業の日本法人の副社長をしていた。社長は本国の人でほとんど本国に居たので実質社長の役割を行っていた。

副社長といえども小さな会社だったので「採用」も私の業務の一つだった。「採用」にはかなりコストと労力がかかる。一人採用するだけで100万円くらいかかるのである。もっとかかる場合もある。そしてその採用した人物の結果により売上等も変わってくるので採用は大きなプロジェクトだった。そしては私この「採用の業務」が苦手だった。

私が大学生の時代、新卒の就職活動はとんでもない氷河期だった。氷河期世代真っただ中。何百社と履歴書、エントリーシートを提出しても面接までたどり着かず、面接しても採用されるのは夢のまた夢の話。慣れないリクルートスーツを着て、ヒール靴に足を痛めながら毎日説明会に出かけて行く。そして徹夜しながらエントリーシートを書いても毎回のように不採用通知を受け取る。周りはどんどん就職先を見つけていく中でなかなか採用通知はもらえない。焦りと不安しかなかった大学4年生のあの頃を今でも思い出す。希望職種や業界なんてどうでもいい。とにかく就職先を見つけたかった。1社にだけ採用をもらい私はもうこれ以上就職活動を続ける気力、財力、精神力が無いと判断し、その1社に決めた。そしてボロボロにすり切れたリクルートスーツに感謝しつつすぐにゴミ箱に捨てたのである。

幸運にも私の就職活動は終わりを迎えることが出来たが、今でもつらい記憶として残っている。あの時は本当につらかった。人生でつらかった時期トップ3に入るくらい辛かった。何が辛いかというと「この世の中に必要とされていない」と感じるのだ。毎日毎日お断りの連絡ばかり受け続けると、「自分の居場所がこの社会にはない、あなたはこの社会に不要です」と毎日言われている気分になり、実際にそうなんだと思い込むようになる。「必要とされていない」感覚というのは集団で生活する人間にとってダメージがかなり強い。メンタルは強い方だと自負はしているがそれでも精神的に毎日切り刻まれていく感覚がした。

サラリーマンなんて夢のない仕事だと思っていたけれど、毎日スーツを着て、電車に揺られていく場所がある。オフィスについたら席があり、仕事がある。社会に居場所があり、必要とされている。なんてすごい事なんだとこの時身に染みて実感した。このことがあってから親にも感謝したし、世界中で働く人たちを尊敬できるようになったのでよい経験ではあったと思う。しかし、それはそれでもあの時は本当に精神的に辛かったのをいまだに覚えている。

そんな私が人に「不採用通知」を送る立場になるとは思いもしなかった。言い訳ではないが、毎回不採用と決めるとき「すみません」と心でそっとお詫びする。その不採用通知が少しづつその人の精神をすり減らしていく感覚を知っているからである。今ならわかる。企業からの不採用通知は社会に居場所があるかどうかとは全く関係ない。ただ、受け取る側としては「一企業からの」不採用ではなく「社会からの」不採用だと受け取ってしまうのだ。全員採用することはできないし、採用する確率の方が非常に低く、ほぼ不採用になる。ただ、「不採用」の重みを、その気持が痛いくらいわかるので未だに採用の仕事は気が引ける。

なんて少しカッコつけてみたけれど、採用の業務が苦手な理由はほかにもある。変な人や常識が無い人、面接を平気ですっぽかす人色々な応募者がいるのだ。そのような人たちにも個々に対応しなければならない。その中でよい人を見つけるのは至難の業である。まさに宝石を見つけるぐらいの確率である。そしていざ採用してみても、期待していた人物ではない場合も多い。そしてその責任は私に回ってくる。上司からも部下からでもある。「なぜあの人を採用したのか」「見る目が無いのではないか」「もっと仕事が出来る人を採用してください」なんて上からも下からも好き勝手言われてしまう。まぁ私も昔は「人事ってみる目ないよね」なんて偉そうな口を叩いていました。反省しています。

コストも労力もかけて採用しても、いい人とは限らない。中小企業で採用を失敗すると企業の今後に大きくかかわるくらい重要な任務なのだ。どうしても疑いながら、保守的になりながら進めて行くしかない。採用が決まっても入社してくれるとは限らないし、入社後は教育というこれまた難関が待っている。

何が正解かわからない。採用するという仕事に100%満足なんて無い。そして結果がわかるのは数年後。採用担当者も日々苦悩しているのである。

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