アラフォーの私と腰痛との付き合いはかれこれ20年。「腰痛」「改善」と幾度となく検索し、どれだけ病院や治療に励んだことか。過去に色々人様のブログや体験記にお世話になったので私も誰かのお役に立てたらいいなと時々腰痛に効いた治療など書いていきたいと思います。
今回は全くなんの、誰の役にも立たない、ギックリ腰に初めてなったときのお話です。
あれはたしか23歳のある日。当日外回りの営業で重い荷物を持ちながら一日中外を歩いていることが多かった。先輩のお使いである企業に書類を届けることになり、お使い先の大企業の本社ビルにいた。エレベーターで目的地の階につき、降りようと床に置いたカバンを持ち上げると「グギッ」と体内から変な音がした。そして足に力が入らなくなりそのまま座り込んでしまった。
幸運にも私一人でエレベーターに乗っていたけれど、とにかく足に力が入らない。え?え???え、何どうしたらいいの?と何が起こったのかわからない。とはいえエレベーターで座って居てもどうしようもないのでとにかく這ってエレベーターを降りたのを覚えている。痛いとかつらいとかそんな感覚は無くただただ足に力が入らない。立てなくなってしまったのだ。
その後どうにかこうにかゆっくり動きながら用事を済まし、ビルのベンチにしばらく座り込んでしまった。まだその時に私に何が起きたのかわからずぼーっとしてしまったが、このままここに居てもしょうがない。会議があったのでとりあえずタクシーで会社に戻った。
会議が始まりすぐに異変に気が付いた。椅子にまっすぐに座って居るはずなのにどんどん自分が傾いていく。そして椅子から落ちそうになる。同僚にも「何してるの?」と言われる。何してるんだろう、自分は。これはおかしいと思い姿見で見てみると上半身と下半身が左右に大きくずれていた。正確にいうと上半身が大きく右側にずれていたのだ。そしてその体勢から動けない。腰を動かそうとすると激痛が走る。上下でずれた状態で固定されてしまっている。涙目。
その後どうしていいかわからず、同僚に大きな総合病院の夜間診療に送ってもらった。
総合病院なのでひっきりなしに救急車のサイレンは聞こえるし、待合室にはインフルエンザの時の私のように椅子に横たわり辛そうな人たちも多くなんだかこんな状況でここにいる自分が居たたまれなく感じていた。自分の診察の番が来た。たしか若い男性の先生だったと思う。興味なさそうに、疲れた顔してこちらを見ることも無く「どーしましたか」と低音ボイスで聞いてくる。私はあらかた症状を話すと「じゃあレントゲン取ってきてください」と一言。看護婦さんの指示通りレントゲンを撮り、また待たされた。
また診察室に呼ばれると私のレントゲンがレントゲンを見るための機械に設置されていた。ただ、そこに先生は居ない。私と私のレントゲンだけが診察室にいた。待たされることも、疲れた先生の対応も全く気にならない。夜間診療は命ぎりぎりの人たちの場だとすでにわかっていた。ただ、診察室で何もすることが無い。自分のレントゲンと対峙する事しかやることが無いのだ。じっと見る。じっとレントゲンを見る。見ても何もわからない。でも、レントゲンをみる。上半身が右にずれている。それは分かった。骨の異常なのかなんなんだろう。不安しかない。
さらに、診察室で待たされていると私がここにいる事みんな忘れてるのではないかと不安な気持ちになる。待合室で待つのとは気持ちが違う。一人きり。時折きょろきょろしてみる。周りはサイレンの音やバタバタと走り回るナースサンダルの音。皆さん忙しいのだ。待つのみ。
しばらくぼーっと待っているとバタバタと小走りで看護婦さんが入ってきた。たしか、中年くらいのベテラン感を醸し出した安心感のある看護婦さんだった。
「ごめんね、もう少し待っててね」と言ってくれた彼女は忘れられているのではないかと心配だった私は安心感を与えるのに十分だった。と、ふと彼女が出て行こうとした際に私のレントゲンを見て止まった。
「あら!あなた!」と声を荒げたのだ。正確にはきっと荒げてはいない。ただ、もしかしたら骨に異常があるんじゃないかとか、病気なんじゃないかとか、一生治らなかったらどうしようと心配だった私には十分すぎる印象的な瞬間だった。
私はこの一言で絶望した。私、大病なんだ。。。。もう治らないかも。まだ若いのに。人って一瞬でいろいろ考えられるんですね。プロが私のレントゲンを見て、声を上げたのだ。いい事なわけない。
「あなた、何日出てないの??これ、ぜーんぶ便!溜まってるじゃないの。下剤飲みなさい下剤!」それだけ言って彼女はまたバタバタとナースサンダル特有の音を立てながら出て行ってしまった。
まさか。
まさか便秘の話?確かに私は慢性的な便秘だけれども、もしかしたら大病かもしれないと不安いっぱいの23歳。便秘で注意をされました。一瞬呆然としたが「あ、大した病気じゃなさそうだな」という考えと「私の便秘そんなにやばいのか。下剤くれるのかな。」とそんなことを考えているうちにまたあの生気のない若い先生の診察が始まり、それ以降の事は殆ど記憶がない。たしか、下剤はもらわなかった。今なら下剤下さい。と言えるが当時のまだうら若き乙女の私は、若い、それも男性の先生には言いにくかったんだと思う。
ともかく、特にこれと言った治療はされず、下剤を飲むことを勧められた夜間診療。そしてここから「腰痛」という爆弾を抱えながら生きていく羽目になる私の辛く長い物語が始まった。
腰痛は本当に辛く、日常生活も送れない。一時期死んでしまいたいと思ったことさえある。お陰様で今はだいぶ改善したが、「腰」という漢字は、にくづきにかなめとはよく昔の人は考えたものだ。腰は身体の要。皆様腰は十分に大事にしてください。
尚便秘はまだ治っていません。
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